はじめに

少しだけ話を聞いてやってください
岩手県大船渡市出身、シンガーソングライターの濱守栄子と申します。
さんりく大船渡ふるさと大使を務めております。

私は岩手県大船渡市に生まれ、小中学校を卒業し、高校は隣の陸前高田市にある高田高校を卒業しました。
高校卒業後、母親の夢であった「安定した職業」につくため、地元の金融機関の窓口でお金を数えるというお堅い仕事に就きました。

ところが、わずか一か月半後の5月14日、母親は遠い空の上に旅立ってしまいました。

目的を失ったまま銀行員としてただ過ごしている中、30歳を目前として、ちゃんと音楽と向き合い、もっと音楽を学びたいと願い上京を決意しました。

もちろん父親には大反対されましたが
「3年だけ、、、3年で芽が出なかったら帰ってくる」と約束をし
11年間お世話になった銀行を辞め、コネも伝手もないままに一人で東京にやってきました。

上京して3年が経過し、歌手としての才能にも運にも恵まれず、そろそろ岩手に戻った方がいいのかもしれないと悩んでいた3月11日。あの東日本大震災が起こりました。

故郷はいつでもそこにあると思っていました。
あの景色が一瞬で無くなってしまうなんて、考えたこともありませんでした。
会いたい人にはいつでも会えると思っていました。

離れていることでふるさとがより一層恋しく思えました。

人は、無力だと思いました。

でも、、、こんな普通の私でも何か出来ないかと思って始めたのが、得意な歌で「義援金を集めること」でした。

きれいごと抜きで、今一番被災地で欲しいものは「お金」だろうと直感で判断し、赤十字などへの募金では、半分は手数料で無くなると聞いて、ならば、私は預かった全ての金額を直接大船渡と陸前高田の市長へ寄付しようと思い立ちました。

ところが何の知名度もない、実績もない、当時は「自称シンガーソングライター」であった私には、歌える場所も技術もありませんでした。

そんな私は、勇気を振り絞って、路上ライブで義援金を集めました。
そこで沢山の出会いがあり、沢山の方のお気持ちをお預かりしてきました。

最初は20万円を目標にスタートし
それが30万、50万、100万となり
200万円を超えるころから、お仕事として歌を歌わせていただけるようになりました。

人はそんな私のことを
「偽善者」「売名行為」などと言いましたが
そんな誹謗中傷も
義援金が500万円を超えるころから一切なくなりました。

現在は沢山の応援団と支援者、ファンと呼ばせていただける方のお陰様で
その金額は8,272,198円(3月31日現在)となりました。

そして、、、
この金額を1千万円にすることを目標として全国に歌いに行くことを決めました。
父親はまた当然のごとく反対してますが結果を出せば必ず認めてくれる人です。
送り出してくれる家族のためにも、必ず達成して岩手に戻ります。

歌いに行く場所も決めてませんがどんな出会いがあるか、
義援金を集め始めたときの路上ライブの時のようにどこかで私を必要としている人と出会えることを
とても楽しみに旅に出ます。

どこかであなたに会えたならそれは「キセキ」ですね。

2019年3月31日 濱守栄子

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